『我が闘争』(抜粋)



少年時代 – 古典学校か実科学校かの進路をめぐって

  当時ようやく11歳になったわたしは、生まれて初めて反抗せざるを得なかった。父とわたしの計画が対立するにつれて、問題は深刻になっていった。12歳のとき既におこっていた。『美術家になるだと、駄目だ、わしの目が黒いうちは断じて認めん!』



技術学校進学後 – 1901年から1902年にかけて落第している

  わたしは好きなこと、とりわけ自分で画家として後に必要と考えたことを全部学んだ。この点で無意味と思えることやその他の興味ないことは、わたしは徹底して怠けた。



シュタイル上級技術学校途中修了 – 1905年肺病のため(あるいは成績不良)4学年で修了、仲間と大酒した後

  完全に落ち込んだ。わたしは生きている限り二度と再び飲酒しないことを神かけてちかったのである



ウィーンで友人クビツェクとワグナーの楽劇を鑑賞

  われわれは芸術家Richard Wagnerをこの上なく偉大だと感じる。なぜなら、彼はその全作品の中で基礎的な国民気質、すなわちドイツ人気質を表現したからである。わが国民はそのことを熱望していたのである。



18歳のときウィーン美術学校の入試に不合格

  もちろんその道は厳しかった。というのはわたしがこれまで技術学校への反抗心から怠けてきたことが、今になって大きく響いてきたからだ。美術学校の建築科に入るには工学系の建築学校を出ていなければならず、さらにそこに入るには中等学校の卒業試験を終了することが必要だった。わたしにはそれら全てが欠けていた。



ウィーンでの5年間

  この5年間、はじめにわたしは臨時雇いの労働者として、次はけちな画工としてパンを、それも毎日の空腹を満たすのに一度も十分でなかったパンを稼がねばならなかった。当時のわたしにとって、空腹は忠実な友であり、片時もわたしから離れることのない、どんなことでもわたしと誠実に分かち合う唯一の友であった。わたしが本を読むたびに空腹はわたしの関心をかき立てた。歌劇場に行けば数日間もわたしにつきまとった。毎日がこの非常なる友との闘争であった。



ドイツ労働者党 (Deutche Arbeiter Partei)入党

  二日間思い悩み、熟慮の末、ついに一歩を踏み出す決意を固めるに至った。それはわたしの人生で最も重要な決意であった。こうしてわたしはドイツ労働者党の党員登録を済ませ、番号7と記された仮の党員証を受け取った。



集会で演説し自分の才能に気づく

  わたしは30分話をした。そして、わたしが以前から、よくわからないが、ただ内心で感じていただけのことが、今や現実によって証明された。わたしは演説ができたのだ。30分後、小さな部屋に集まった人々は深く感動させられたのである。



大衆へのプロパガンダについて

  いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない。

  大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。

  大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。



宣伝の効果について

  この世界における最も偉大な変革は、決してガチョウの羽ペンでは導かれなかった。宗教的・政治的たぐいの偉大な歴史的雪崩をひきおこした力は、大昔から語られる言葉の魔力であった。



指導者の資質について

  偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。
  彼らは純粋の文筆活動だけに没頭し、演説によって実際に扇動的に活動することを諦めているからである。だが、こういうい慣習は時がたつにつれて、今日わがブルジョアジーを特徴づけているもの、すなわち大衆への働きかけと、大衆への影響に対する心理的本能の喪失に導くに違いない。
  立派な演説家は-文筆家が常に弁論術を練習しない限り-立派な文筆家が演説する以上にうまく書くことができる。



知性と感情

  一定の傾向をもった書物は、たいていは以前からこの傾向に属している人が読むだけである。
  ここでは人間はもはや知性を働かせる必要はない。眺めたり、せいぜいまったく短い文章を読んだりすることで満足している。それゆえ、多くのものは、相当に長い文章を読むよりも、むしろ具体的な表現を受け入れる用意ができているのである。
  誤った概念や良からぬ知識と言うものは、啓蒙にすることによって除去することができる。だが、感情からする反抗は断じてできない。ただ、神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。



演説について

  同じ講演、同じ演説家、同じ演題でも午前10時と午後3時や晩とでは、その効果は全く異なっている。良く知られている大演説家の演説もただちに印刷されるてのを見ると、往々にして幻滅を感じる、とそこで確認されてもいるのである。

  ロイド・ジョージが、その天才において優れているのは、演説において民衆の心を自分に向って開き、ついに民衆を完全に自分の思うままに動かした、その形式や表現に示されている。その言葉の質朴さ、その表現の形式の独創性、さらにわかりやすい最も簡単な例を用いることこそ、このイギリス人のすぐれた政治能力があることを示す。

  民衆に対する政治家の演説というものは、わたしは大学教授に与える印象によって計るのではなく、民衆に及ぼす効果によって計るのである。



国家について

  突然書類かばんの中から新しい国家の憲法草案を公表して、さて、これを主権者の絶対命令で上から「実施」できる、と思ってはならない。そうやってみることはできる。だが、その結果は、確実に生する能力のないたいてい死産児であろう。それはワイマール憲法の成立や最近半世紀におけるわが民族の体験とはなんら内的に関連のない新国旗を新憲法と一緒にくれてやるという企てをわたしははっきりと思い出せるのである。



ユダヤ人について

  ユダヤ人たちは、アメリカ合衆国の金融力の支配者である。一年一年彼らはますます1億2千万民衆の労働力の監督者の地位に上っていくのである。
  ユダヤ人は自分たちの至福千年王国のなかに日本のような国家主義国家が残っているのをはばかり、それ故自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである。