『ヒトラーの遺言』(抜粋)



  決定的な [19] 30年代には、世界の状況はナポレオンやピットの時代のそれとは根本的に変わってしまった。欧州大陸は、世界大戦の物質的な大消耗戦によって力を完全に擦り減らした結果、その支配的地位を失った。欧州は、政治的な重心の一つとして残ることは残ったが、しかしそれは多数の内の一つに過ぎず、しかも欧州の意味はますます薄れてゆく一方であった。これと全く反比例するように、アメリカ合衆国の意味と、アジア的ボルシェヴィズムの巨人国の意味とは、ますます大きくなるばかりであった。そして特に、太陽が昇る国の意味も。(1945年2月4日)


  人種的な誇りの感情などには拘束されはしないと思っている人でも、他の人種との混血を歓迎する人種などはいないということを信ずべきである。異人種間の混血は、幾つかの偶然的な好結果まで否定する者ではないが、一般的に良い結果を生んだことはない。ある人種が自らの純血を守ろうとする時、その人種はそれによって正に自己の生命力と生の意志とを証明している。誰もが自己の人種に誇りを持っていることは、私から見ればノーマルである以外の何ものでもないが、しかしそれは、だからその人間は他の人種を軽蔑していいという意味では決してない。

  私は、例えば支那人あるいは日本人が人種として劣等だなどと思ったことは一度もない。両方とも古い文化を持った国民であり、そして私としては、彼らの伝統の方が我々のそれよりも優っていることを認めるのにやぶさかではない。彼らには、それを誇りに思うべき、立派な根拠がある。丁度我々が、我々が属している文化圏に誇りを持っているように。それどころか私は、支那人や日本人が彼らの人種的な誇りを堅持していてくれればくれる程、彼らと理解し合うことが私にとってますます容易になるとさえ信じている。(1945年2月13日)


  日本の参戦は、ルーズヴェルトのために絶好の口実を与え、アメリカ軍を我々に対して動員するきっかけを作ったとは言え、我々にとっては何らの不利な結果も伴わなかった。しかしルーズヴェルトは、ユダヤ人にはっぱをかけられて、日本の参戦がなくても、国家社会主義を殲滅するための戦争を決意していた。したがって、誰からもその根拠を支持して貰う必要はなかった。彼は、アメリカ国民の中にあった健全な孤立主義を克服するために必要な口実を作り出すだけの才覚は充分に持っていた。この場合、その分量が多かろうと、或いは少なかろうと、事実を改竄することなど問題ではなかった。

  にも関わらず、真珠湾で行われた破壊は、その範囲から言っても、影響から言っても、彼にとってはまさにうってつけの出来事であった。これこそが、アメリカ国民を戦争へと駆り立てるとともに、国内における最後の反対勢力を排除するために彼が必要としていたものであった。本当の所、日本の国民を挑発するために彼はあらゆる手を尽くしてきたのである。

  全ては――もっとも、全世界的な規模に合わせてスケールが改められたとはいえ――既に世界大戦に於いてウィルソンが見事な成功を収めた、あの謀略の再版に他ならない。即ち、恥も外聞も忘れた挑発を使ってルシタニア号を雷撃させ、それをドイツとオーストリア・ハンガリー及びその同盟国に対する宣戦布告のために、アメリカ国民向けの心理戦争に利用した、あの手法の再版に他ならない。

  すでに1917年のあの時に、アメリカの介入を防げなかったとすれば、それから25年後の今、今回の介入も必然的に同じ根拠に基づいていることが明白である以上、事態は全く同じである。アメリカとの戦争は不可避であった。

  それはともかくとして、世界のユダヤ人全体は1915年になって初めて、連合国の側に付くことを決意した。これに反して我々の場合には、すでに第3帝国誕生の時、すなわち1933年に、同じく世界のユダヤ人全体が我々に対して宣戦布告をしている。

  ところで、過去の四半世紀の間に、合衆国に於けるユダヤ人の影響は、絶え間無く大きくなってきている。したがってアメリカの参戦は、有無を言わせぬものであったから、それと時を同じくして日本の様に価値ある同盟国を我々が得たということは、我々にとって計り知れないほどの幸運であった。

  しかし、それはユダヤ人にとっても利益であった! それによって、ユダヤ人が長い間待ち望んでいた機会、すなわち合衆国を彼らの戦争に引き入れるという機会が到来した。アメリカ国民を挙国一致の名の下に、ユダヤ人が望む方向に連れてゆくことに成功したのである。

  それは確かに、ユダヤ人のお手の物のトリックである。というのは、アメリカ国民は1919年に失望を体験してから、再び欧州の戦争に介入する興味を殆ど失ってしまっていた。他面、彼らは今までにかつてなかった程、黄禍論の思想に取り付かれる様になった。

  ユダヤ人には、全ての責任を負わせるべきである。そして最も恥知らずな悪徳をユダヤ人の責任だと考えても、それが誤算だったということは決してない。私は確信している――ユダヤ人は黄禍の問題で遠大な計画を立てるとともに、白人種の国の一つが、ユダヤ人の病菌に免疫で、しかも今や列強に伸し上がってきた黄色人種の島国を滅ぼしてくれる可能性まで読んでいたのだ、と。

  我々にとって日本は、如何なる時も友人であり、盟邦でいてくれるであろう。この戦争の中で我々は、日本を高く評価すると共に、いよいよますます尊敬することを学んだ。この共同の戦いを通して、日本と我々との関係は更に密接は、そして堅固なものとなるであろう。

  日本がただちに、我々と共に対ソヴィエト戦に介入してくれなかったのは、確かに残念なことである。それが実現していたならば、スターリンの軍隊は、今この瞬間にブレスラウを包囲してはいなかったであろうし、ソヴィエト軍はブダペストには来ていなかったであろう。我々両国は共同して、1941年の冬が来る前にボルシェヴィズムを殲滅していたであろうから、ルーズヴェルトとしては、これらの敵国〔ドイツと日本〕と事を構えない様に気を付けることは容易ではなかったであろう。

  他面に於いて人々は、既に1940年に、すなわちフランスが敗北した直後に、日本がシンガポールを占領しなかったことを残念に思うだろう。合衆国は、大統領選挙の真っ最中だったために、事を起こすことは不可能であった。その当時にも、この戦争の転機は存在していたのである。

  さもあればあれ、我々と日本との運命共同体は存続するであろう。我々は、一緒に勝つか、それとも、共々に亡ぶかである。運命が先ず我々を殲滅してしまうとすれば、ロシアが〝アジア人の連帯〟という神話を日本に対して今後も長く堅持するであろうとは、私にはまず考えられない。(1945年2月18日)




  私は、日本人と、支那人と、そしてイスラム諸国民とは、我々にとって、例えばフランスよりも常に身近な存在であると確信している。しかもこのことは、ドイツ人とフランス人との間に存在している血の繋がりにも関わらず、である。(1945年4月2日)