オサマ・ビン・ラディン 公式伝記(抜粋)


■ 原題
STORY OF OSAMA BIN LADEN

■ 著者紹介
  ハミッド・ミール氏は、二〇〇一年九月十一日の事件以降、最初にウサマ・ビンラディンにインタビューしたジャーナリストである。この最も注目を浴びた人物とのインタビューは、一九九七年来、三度目のことだった。ミール氏は一九九八年五月、ビンラディンとの書面の契約にサインし、この伝記を出版することになった。その際、内容は客観的であって、一方に偏ったものでないようにすることも取り決められた。彼は、パキスタンの「デイリー・オーザフ・イスラマバード」紙の編集者である。パキスタン、ラホールの英字紙「ウィークリー・インディペンデント」でもコラムを連載し、全パキスタン新聞協会(APNS)で数多くのベスト・コラムニスト賞を受賞している。ネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)、ヤセル・アラファト(パレスティナ自治政府議長)、シモン・ペレス(イスラエル外相)、L。K。アドワーニ(インド内務相)、カレダ・ジア(バングラディシュ首相)、朱鎔基(中国首相)とのインタビューも、その功績である。本書は彼の二作目の著作である。一九九〇年に出版された一作目の著作は、ズルフィカル・アリ・ブット(元パキスタン首相)の政治哲学に関するものだった。ミール氏は現在三六歳であり、十五年間にわたってジャーナリストとして活躍している。



■ ウサマ・ビンラディンからのメッセージ(日本語版に向けて)

ラディン氏による直筆メッセージ
ラディン氏による直筆メッセージ
  ハミッド・ミール氏は、私に関する本が日本語でも出版されると知らせてくれた。日本の読者に向けたメーセッジが欲しいという。

 日本の歴史には大変興味がある。近い将来に私が殺されなければ、日本を訪れ、日本についてもっと知りたい。

 第二次世界大戦中、アメリカが日本に原子爆弾を落とし、二つの都市を完全に破壊したことを、私は常に非難している。被爆国であるが故に、日本は核兵器に反対している。その見解は尊重するものの、一方で私は、自衛のために核兵器は絶対に必要であるとも考えている。 数十年前に、アメリカが広島、長崎の何の罪もない人々を殺戮したことについて、深い悲しみを表明する。

 日本人は勇敢で勤勉は国民である。壊滅的な破壊を蒙ったのに、わずかな間に国を再建した。日本人に対しては嫌悪も敵意も抱いていない。私が戦っているのは抑圧者であり、日本人は抑圧の犠牲者なのだ。

 本書を読み終えれば、日本の読者はきっと、まったく新しい私の相貌を見出すことになるだろう。ミール氏の質問はいつも厳しい。私からあらゆる重要な情報を引き出すように最善の努力を尽くしている。彼が、私の人生の重要な側面すべてをカバーしてくれることを期待する。重要なのは私ではなく、思想なのだ。私自身は平凡な人間である。

 日本の読者の皆さんには、イスラムという宗教と、ジハードの概念について理解することを強く薦める。そうそうすれば、我々がテロリストでないことが分かるようになるはずだ。我々はテロリズムの犠牲者なのである。

ウサマ・ビン・ムハンマド・ビン・ラディン
二〇〇一年十一月八日 アフガニスタン



■ 序文(冒頭部分)
「私の父は裕福だった。その気になれば、ほかの若く恵まれたサウジアラビア人と同じように、ヨーロッパやアメリカで贅沢な暮らしを送ることもできただろう。しかし、私は武器を取り、アフガニスタンの山々へと向かった。死の影を感じながら人生を送るよう私を追い立てたものは、個人的利害だったのか? 違う! 単に宗教的義務を果たしているだけなのだ。この責務を遂行する過程で、命を失うか否かは問題ではない。私や、私と同じような者の死によって、いつの日か、何百万のイスラム教徒がその虚無から覚醒することだろう。」
  以上は、ウサマ・ビンラディンが私に語った言葉である。一九九七年三月のある朝、アフガン東方の都市、ジャララバード近郊にある山中の秘密の隠れ家でのことだった。数年の内に同じ男が、アメリカの不倶戴天の敵であると宣告されるとは、夢にも思わなかった。


 

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