『週間ポスト』によるインタビュー


1998年2月実施




 私がアメリカに対して根本的な疑問を抱き、その後、日増しに激しい憎悪の念を燃やすようになったのは、91年の湾岸戦争の時からだ。

 私だけでなく、全てのイスラム教徒は、アフガニスタンに侵入してきたソ連軍と戦うために世界中から集まってきたムジャヒディン(イスラム聖戦士)たちに温かい援助の手を差し伸べ、最新の武器、弾薬、食糧、医薬品などを惜し気もなく供給してくれたアメリカを心から頼りにし、また少なからず親愛の念も抱いていた。

 もちろん、歴代のアメリカの指導者たちがイスラエルに骨がらみになっており、我々と同じくイスラムの教えに帰依するパレスチナ人たちを残酷に扱っている事実には深く怒りを覚えていた。しかし、私がアフガニスタンの戦場で実感したのは、「やはりアメリカは“世界の警察”の役割を誠実に果たしており、彼らがいなければ、ソ連のような無法な国にイスラム世界を踏みにじられても反抗の声すらあげられない」という感謝の気持ちだった。だから、その後もCIAの連中と密接な連絡を取り、貴重な情報を流してやったりもしたのだ。

 ところが、そのソ連が崩壊したとたん、彼らの態度は豹変し、イスラエルの連中と同様の傲慢で残酷な仕打ちを繰り返すようになった。その極めつきともいうべきものが、湾岸危機から湾岸戦争に踏み切っていった時のアメリカの態度だった。

 我々の最も聖なる地・サウジアラビア領内にイラク攻撃の基地を作らせよと強要してきた。これはイスラム世界への明らかな冒涜である。その返礼として差し出された莫大な賄賂にすっかり目のくらんだ王家の人々に、我々が“目を覚ませ”と忠告したとたん、弾圧のかぎりを仕掛けてきた。つまり、自国の利益のために我々を利用していただけなのだ。

 もともと私の父親は貧しいイエメンの出身で、人種差別の激しいサウジアラビアに出てきてからも、さまざまな迫害を受けてきた。それでも歯を食いしばって、ようやくアラブ世界でも有数の事業を展開するまでになったのだ。

 ところが、私が邪魔者に見えてきた瞬間から、彼らは、あらゆる利権を奪い、ビジネスの妨害をするようサウジ政府に働きかけて、ついには私のパスポートまで没収して国外に追い出してしまった。

 辛うじて受け入れてくれたのは、私と同じくイスラムの理想を奉じるスーダンだったが、アメリカの弾圧の手はそこにも容赦なく伸びて、96年にはとうとう行き場がなくなってしまった。

 タリバン(アフガニスタンのイスラム原理主義勢力で国土の9割を制圧)の同志たちが温かい救いの手を差し伸べてくれたのは、まさにその時だった。それで私は生涯彼らと起居をともにしながら、聖地を踏みにじる本当の敵“米国十字軍”と戦い続けようと、固く心に誓ったのだ。



 

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