投稿   「マルコポーロ」廃刊の真相!

国家社会主義日本労働者党   山田一成




 文芸春秋発刊の月刊「マルコポーロ」、平成7年2月号に『戦後世界史のタブー、ナチ「ガス室」はソ連の捏造だった』という記事を医師である西岡昌紀氏が寄稿し、特集という形で同号が掲載した。(1月17日発売)

「シモン・ヴィーゼンタール機関」、「ADL」(ユダヤ名誉毀損防止連盟)、「パシフィック・リム・インスティテュート」のユダヤ人圧力団体とイスラエル政府は即日、文芸春秋に対して抗議を行い、文芸春秋の広告掲載会社数社に広告の掲載中止を呼び掛けた。その結果、文芸春秋は一方的な謝罪とマルコポーロ誌の廃刊、同誌の回収、編集長の花田紀凱氏の解任という、易な方法で事態の収拾を図ったのである。

 花田氏は、在日イスラエル大使館に、反論があれば、誌面の提供をする」旨を伝えていたがユダヤ側はこれを黙殺した。そして、文芸春秋も花田氏を支持する事無く、詰腹を切らせたのである。

 言論の自由を謳い文句にしていた日本のマスコミ・ジャーナリズムは、まさに外圧になす術もなく屈したのである。

 更に、文芸春秋は「皇室問題」で謝罪し、「JR東日本」で革マル新左翼に屈し、「アウシュヴィッツ」でユダヤと共に、言論の自由を封殺したのである。

 西岡氏からマスコミに、〝売り込んだ〟とされる原本を以前から頂いていたが、『私は政治的には、明快に反ナチスの立場を取る者です』と明記されており、内容もユダヤ人やユダヤ教を中傷侮辱するものではなかった。

 西岡氏の名誉のために付け加えさせて頂くとマルコポーロ廃刊の決定後から一貫して、『この件でユダヤ人を悪く云うのだけは止めて頂きたい』と強く〝反・反ユダヤ主義〟の立場を貫いている人である。また、私の知るかぎりでは、マスコミに売り込んだという事実はない。ただ彼は、ホロコースト・リヴィジョニズム(修正主義)という少数派の意見が世界中にあることを広くマスコミに伝えたかったのではないだろうか。

 ホロコースト・リヴィジョニズムとは、日本で云うところの「南京大虐殺否定論」の立場をとる学者の学説と同じと思えばいい。フランスのロバート・フォーリソン教授や『ヒトラーの戦争』の著者で著名な歴史家でもあるデイヴィッド・アーヴィング氏、マーク・ウェバー氏などの権威ある歴史家が中心となって構成されているIHR(カリフォルニア)などが有名であるが、何といってもカナダ在住のエルンスト・ツンデル氏の裁判(カナダで西岡氏に似た論陣を張って、名誉毀損その他で九年にも及ぶ裁判があり、去年十二月に無罪となった)の弁護士グループが行った調査結果として、アメリカの処刑設備製造業者フレッド・ロイヒター氏がアウシュヴィッツ、ビルケナウの現場で、採取した数々のサンプルを大学の生化学者に依頼した報告などをレポートという形でまとめた『ロイヒター・レポート』があるがここでは、「ガス室」とされている部屋で、シアン化物が使用された形跡がなかったというテクニカルな科学的検証が行われている。

 またアンネ・フランクの日記をめぐっても、一次資料を入手し筆跡鑑定をするなど、世界各地でリヴィジョニスト達がこの問題に真剣に取り組んでいるのである。

  では、当事国のドイツ・オーストリアはどうかというと、法律によって言論を抑圧している。民衆扇動罪はナチス賛美、反ユダヤ的な言動、ホロコーストの嘘、外国人排撃などを個人的レヴェル以外で話をするだけで禁錮、懲役刑にあたる。『ベルーフ・ネオナチ』という記録映画でエワルド・アルトハンズ氏は、アウシュヴィッツに赴き問題点をカメラの前で指摘したところ、懲役二年の刑を宣告された。またオーストリアのゴットフリート・キュッセル氏は、アメリカのテレビ局ABCのインタヴューで「ドイツ民族にとって、オーストリアはドイツの一部である」と話したのが、再画策罪という罪が適用され懲役十一年という不当弾圧を受け、それぞれ獄につながれている。

 国が一定の世界観、ニュルンベルク裁判史観しか認めずに、その枠からはみでる者を左右を問わず弾圧し、非合法化するというのは、まさに〝ヤルタ・ポツダム制ファシズム〟である。

 これは、日本人にとっても大変重要なことである。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題に対しても、いろいろ検証を要する事があるからだ。

 リベラリストを自称する文化人の中に、戦後補償を含む「戦後の在り方」を、〝ドイツに見習え〟という自説を展開する人達が戦後五十年を機会に増えているという。彼らは、この思想・言論弾圧の国に何を学べというのか。

 我々は、「南京大虐殺」も「アウシュヴィッツのガス室」に対しても同時に同じレヴェルで否定する。それは、〝日本・ドイツ完全悪説〟という立場を取る東京裁判、ニュルンベルク裁判史観そのものが、自らの犯罪行為を隠蔽するために連合国側がデッチ上げた茶番劇であるからだ。戦後「南京大虐殺」と「ホロコースト」を捏造して、連合国はヤルタ・ポツダム体制に正当性を与えて来た。しかし、日本においても歴史検証の兆しが見え始めてきた矢先、今回のマルコポーロ廃刊事件は定説を歴史の事実として受け入れ、問題を提議することすら許されぬという風潮を作り上げてしまったのだ。

「日本における反ユダヤ主義の出版物を監視する組織が昨年出来た」とシモン・ヴィーゼンタール機関の副所長アブラハム・クーパーが、今回の来日の際に記者会見で語った。

 西岡氏の説に対して〝公正さに欠ける〟との理由をユダヤ側も文芸春秋も指摘していたが、ではこのリポートのどこが公正さに欠けているのか明示してもらいたいものである。出来ないであろうが、ユダヤ側には反論をしてもらいたい。繰り返し述べるが、世界中のこの手の裁判でアウシュヴィッツに「ガス室」があったと証明されたケースは無いのだ。

 この広告掲載料と企業の購読料に依存していないレコンキスタ紙の紙上で反論があれば、議論を進めていきたい。


※以上、月刊『レコンキスタ』第213号(1995年3月)より転載。




文芸春秋「マルコポーロ誌」廃刊事件


文/国家社会主義日本労働者党   山田一成



 文芸春秋発刊の月刊「マルコポーロ」、平成7年2月号に『戦後世界史のタブー「ナチガス室」はソ連の捏造だった』という記事を医師である西岡昌紀氏が寄稿し、特集という形で掲載した。(一月十七日発売)

「シモン・ヴィゼンタール機関」、「ADL」(ユダヤ名誉毀損防止連盟)、「パシフィック・リム・インスティテュート」のユダヤ人圧力団体とイスラエル政府は即日、文芸春秋に対して抗議を行い、文芸春秋の広告掲載会社数社に広告の掲載中止を呼び掛けた。

 その結果、文芸春秋は一方的な謝罪とマルコポーロ誌の廃刊、同誌の回収、編集長の花田紀凱氏の解任という、安易な方法で事態の収拾を図ったのである。

 花田氏は、在日イスラエル大使館に、「反論があれば、誌面の提供をする」旨を伝えていたが、ユダヤ側はこれを黙殺した。そして、文芸春秋も花田氏を支持する事無く、詰腹を切らせたのである。更に、田中健五氏の突然の社長辞任でようやく、この一件を終息させた。

 言論の自由をうたい文句にしていた日本のマスコミ・ジャーナリズムは、まさに外圧になす術もなく屈したのである。

 文芸春秋は「皇室問題」で謝罪し、「JR東日本」で革マル新左翼に屈し、「アウシュヴィッツ」でユダヤと共に、言論の自由を封殺したのである。

 以上が、文芸春秋「マルコポーロ誌」廃刊事件の表面上の顛末である。

 しかし、私は漠然として何らの確証も無いのであるが、これは最初から仕組まれた「壮大なるヤラセ」ではなかったのかと感じる様になった。

 西岡氏からマスコミに"売り込んだ"とされる原本を、去年の秋ごろ私は手にしていたが、西岡氏はこの原稿200部以上を主要マスコミに送っており、「マルコポーロ」誌で掲載されることは、半ば周知の事実であったはずである。

 しかし、この時点でユダヤ側がこの情報をキャッチしていないはずは無いだろう。

 何故なら、藤井昇氏や福島瑞穂女史という"彼ら"に極めて近しい人達の目にも、西岡氏のこの原稿が止まっていたのであるから。

 では、何故あえて「マルコポーロ」誌に掲載されるまでユダヤ側は静観し、そこで発売以後、電撃的とでもいうような圧力をかけて来たのか。

 巷間云われている『売り上げ下火の「マルコポーロ」誌の幕引きを狙った』という説があるが、それだけが真相では無いだろう。

 私は、西岡氏の書いた原本に興味をもち、去年の秋以降度々連絡を取り合っていた。それは内容の問題ではなく、西岡氏の海外における情報源と私の情報源が一致していたからである。何回かの電話のやり取りで、西岡氏に好感を抱いていた私は、彼に左翼的な匂いを感じるようになっていた。マスコミ用に用意されていた原本には、最初から木村愛二氏の著書の抜粋が書かれており、西岡=木村というラインは出来上がっていたのである。

 そして、木村氏と相談のうえマスコミに原稿を送ったそうである。

 では、何故200部もの原本をマスコミに送り付けていたのかという疑問が残る。

 予め起こる"事件"を、よりセンセーショナルに取り上げさせる為ではなかったのか。西岡氏が今回行った事というと、海外(IHR=歴史修正学派)で出版されているこの手の本をリライトし、自分でアウシュヴィッツに行き写真を撮っただけである。そして、あとは木村愛二氏が牽いたレールに乗ったのだ。

 売れない左翼のジャーナリストが医者を唆して、趣味のリヴィジョニズムをレポートさせた後は、自分で一冊本を発表する。しかも、自分の価値観で纏め上げた1冊をだ。

 更には、「この問題は左翼の立場の人が提議するのがいい」とも語っていたのだ。ということは、この騒動の先に、ある程度の路線が牽かれていたと見るのが妥当であろう。

 そして、西岡、木村の後に大物左翼作家、本多勝一の影もちらついている。

「マルコポーロ」誌の一連の騒動は、戦後50年の、歴史的な見直しが閉ざされてしまったばかりか、戦後史観をミスリードさせる為の演出だったのではないだろうか。

 そもそも、ホロコースト・リヴィジョニズム事態自体が政治的背景が濃厚なイズムであり、目的の為の手段である。

「ホロコーストは無かった。だからドイツ人は不当な贖罪意識を捨てよう」「ホロコーストは無かった。だからパレスティナ問題を考え直そう」といった具合に使われているのだ。

 では西岡、木村氏はどうかというと「ホロコーストは無かったが南京大虐殺はあった」という立場を明確にしている。

 先の記者会見(2月15、17日東京・総評会館)にて、神奈川大学の常石敬一教授が応援に駆け付けていたのが何よりの証拠であろう。彼は、執拗に七三一部隊を批判的に研究している人物である。

 つまり、日本では左翼がこの問題に最初に取り組んだと云うことである。

 欧米のホロコースト・リヴィジョニスト達は、ドイツ、オーストリアの名誉回復運動の研究者であり愛国者達である。

 十年の裁判闘争を戦い勝利したドイツ系カナダ人エルンスト・ツンデル氏、デンマークに亡命しアウシュヴィッツのユダヤ人とSS看守の最後まで続いていた友情を描いた本『虚構のアウシュヴィッツ』の著者で元SS看守ティエース・クリストファーセン氏、イギリスの権威ある歴史家デイヴィッド・アービング氏はアンネ・フランクの日記が偽物であると主張している。

 勿論彼らを不法なテロから護る実践の運動家達も側面から関係しているのだ。これらが"ネオ・ナチ"というレッテルを貼りつけられている人達であり、自らをナチョナーレと呼ぶドイツ、オーストリアの名誉の為に戦っている戦士でもある。

 またドイツ、オーストリアでは反ユダヤ的な言動、ホロコーストの嘘、外国人排撃等を個人的レヴェル以外で話をするだけで禁錮、懲役刑にあたる。

『ベルーフ・ネオナチ』という記録映画でエドワルド・アルトハンズ氏は、アウシュヴィッツに赴き問題点をカメラの前で指摘したところ、懲役二年の刑を宣告された。またオーストリアのゴットフリート・キュッセル氏は、アメリカのテレビ局ABCのインタヴューで「ドイツ民族にとって、オーストリアはドイツの一部である」と話したのだが、それに画策罪という罪が適用され、懲役十一年という不当弾圧を受け、それぞれ獄につながれている。

 国が一定の世界観、ニュルンベルク裁判史観しか認めずに、その枠からはみでる者を左右を問わずに弾圧し、非合法化するというのは、まさに"ヤルタ・ポツダム制ファシズム"である。

 これは、日本人にとっても大変重要なことである。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題に対しても、いろいろ検証を要することがあるからだ。

 リベラリストを自称する文化人の中に、戦後補償を含む「戦後の在り方」を、同じ敗戦国である"ドイツに見習え"という自説を展開する人達が戦後五十年を機会に増えているという。彼らは、この思想・言論弾圧の国に何を学べというのか。

 我々は、「南京大虐殺」も「アウシュヴィッツのガス室」に対しても同時に同じレヴェルで否定する。それは、"日本・ドイツ完全悪説"という立場を取る東京裁判、ニュルンベルク裁判史観そのものが、自らの犯罪行為を隠蔽するために連合国側がデッチ上げた茶番劇であるからだ。戦後「南京大虐殺」と「ホロコースト」を捏造して、連合国はヤルタ・ポツダム体制に正当性を与えて来た。

 しかし、日本においても歴史検証の兆しが見え始めてきた矢先に起きた、今回のマルコポーロ廃刊事件は、定説を歴史の事実として受け入れ、問題を提議することすら許さぬという風潮と、その方向をミスリードさせてしまった。

「日本における反ユダヤ主義の出版物を監視する組織が昨年出来た」とシモン・ヴィーゼンタール機関の副所長アブラハム・クーパーが、今回の来日の際に記者会見で語った。

 日本のユダヤ系イスラエル人は、わずか千人程度しかいない。この人達の為に言論監視の機関が一体何処に出来ているというのか。

 繰り返し述べるが、「ホロコースト・リヴィジョニズム」とはドイツ、オーストリアの名誉回復の為の道具でありそれだけが目的ではないのだ。

 地に足がついているはっきりとした愛国運動の一部なのである。

 日本人がこの事を知らずに、安易に「ホロコースト・リヴィジョニズム」に携わったり、報道論などという見当はずれの切り口から深入りするのは、当のドイツ、オーストリアのリヴィジョニストやナチョナーレ、さらにはユダヤ人に対しても失礼なことだと思える。


※以上、月刊『卒啄』第7号(1995年3月)より転載。


 

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